ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

自己との孤独なたたかい

高野悦子さんとは、今回が初対面、というより、そもそも作家ではないので特殊な立ち位置に居られる方です。

 

今回、感想を書こうと思っている「二十歳の原点」は、この高野悦子さんの二十歳における日記をまとめたものです。本人の意思がなんらかあったのかわからないけれど、極めてプライベートな日記が広く公開されてしまっていることは、誰が良しとしたのか…個人的にはそこは腑に落ちません。

 

内容は、二十歳を迎えた悦子さんが、学園紛争に関わりながら、自己の確立を目指すものの、最後は自ら命を絶ってしまうというものです。

 

「若者たちのバイブル」などという宣伝文句がついているが、こんなものをバイブルとしてしまった日には、悦子さんに引っ張られてしまう人が一定数出てもおかしくない、それくらい、どうしようもなく正しくて悲しい内容でした。

 

悦子さんのように真面目で、正しくあろうとする人間でなくてよかった…と思いました。

 

そんな感想の中で、作中の話と絡めた個人的な見解を以下にツラツラと書きます。あくまで個人的な考えです。

 

①自己矛盾があっていい

時と場合に応じた色々な自分がいることを認めていかないといけないと思う。その自分同士の間に感情的な矛盾があるとしても、それをよしとする(どちらも本心だと認める)力が必要だと感じました。

 

②無知であることを批判する力は必要ない

自分が無知であることを恥じる力は必要だと思うが、自分が無知であることを自分で批判する力は全く要らないと思う。

 

③他者が居てはじめて自己を確立できる

「他者を通じてのみ自己を知る」、これが正しいあり方であると思うので、これについて恥じたり消極的になる必要はないと思う。今回の部分を読む限りにおいて、悦子さんは悦子さんと相性のよい他者には巡り会えなかったのだろうと推測する。最終的に救われるかどうかは、よき他者に巡り会えるかどうか、今はこう思っているけれど、永遠のテーマです。「かがみの孤城」を読んだ時にもそう思ったことをよく覚えています。

 

④環境(時代)の違い

当時は圧倒的な情報不足であるため、途方も無い不安が顕在化することは自然だと思う。現在は武力行使を使わないだけで、似たような志そして悩みを抱えている人はきっと沢山いるのだろうと思います。

 

⑤全てに正しい意味や理屈を見出そうとしない(ポジティブなニヒリズム?)

作中で悦子さんは、自身の行動や存在意義そのものについて、常に正しい意味や理屈を求めようとして、非常に苦しんでいたと感じられる。最終的には意味を見出せず、ネガティブな意味でのニヒリズムに陥ったという解釈でよいのだろうか…。個人的には、ポジティブなニヒリズム、意味がないこともあるということを受け入れて、もっとほかの個人的な事象を生きる理由とした方が、幸せなんじゃなかろうかと思います。これは、つい先日の「暗い夜、星を数えて」の感想を締める時に述べた意見と同じような考えです。

 

 

以上、学園紛争などに詳しければもっと理解が深まった部分はあったかもしれませんが、元々日記で他人に見せることを想定していないのだから仕方ありません。

ただ、悦子さんから教わったことを無駄にはしたくないです。これからも生きていくために、自分の中の落とし所を探し続けていかねば。