ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

「わたしの」美しい庭

凪良ゆうさんに「流浪の月」で衝撃を受けたので、最近出版された「わたしの美しい庭」を早速読みました。

 

特殊な事情のマンションに、何らかの生きづらさを抱えた人たちが集まっていて、その生きづらさと向き合っていく短編集です。

 

いやぁ、最高でした。「流浪の月」と同じく、名前のつけられない、だけど何よりも大切な関係性というのがテーマの一つになっているように思います。完全に凪良ゆうの虜になった感があります。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

短編ごとに語り手が交代していく形だけど、みんなそれぞれ生きづらさを抱えています。それは、「世間一般では普通とされていない」感情・価値観を持っているということです。

 

マイノリティな価値観も認識し、共存していく思考が最近の傾向としてありつつも、一部の人にとってそれはあくまで仮想的で、一般化した場合の話であるように思う。

 

実際的に、身近にそういう人がいる場合、悪意のあるなしに関わらず、拒絶してしまう人間は少なからず存在すると思う。これ自体は両者とも完全に回避することはできないのでは…と思う。

 

この作品では、だから、世間からは普通でないとされている自分の感情を、せめて自分自身では受け入れて、肯定して生きていきたいねというメッセージが一つあると感じた。

 

そして、他者からの評価は気にするなというのは、理屈はわかっていても実際にその境地に達するにはかなりの険しい道を歩いていく必要があると思う。

 

そこで重要なのが、よき隣人ではないか。家族や恋人といった一般的な関係をある意味超越した、互いが互いを支え合う関係性。「流浪の月」における更紗と文、梨花のように。「わたしの美しい庭」における統理と百音、路有、ひいては縁切りマンションの住人のように。

 

よき隣人の存在については、こればかりは良いご縁があるかどうかに尽きるというのが現実だと考えています。ここを掘り下げた作品に出会えるといいなぁ。

 

作品に関して一言だけ難点を言うならば、百音の小学生らしからぬ聖母っぷりである。「流浪の月」の更紗もだいぶ大人びていたので、ここは今後もそういうものだと受け入れたほうがよさそうです。

 

最後にタイトルについて、想いを馳せる。「わたしの」は、所有を表す意味ではなく、「わたしにとっての」という意味ではないかと思う。「わたしの」美しい庭を、「わたしの」よき隣人と、大切にして、好きでいれたらそれでいい。