「森があふれる」は、「くちなし」に続いて、ものすごく幻想的な世界観のお話でした。
メインの主人公?である男性作家の妻である琉生はある日、植物の種を飲み発芽、広大な森と化します。
…だいぶファンタジーですね。その中で語られるのは、性差の話をベースとした、他人との分かり合えなさ、でしょうか。
正直なところ、特に終盤の抽象度が高かったので、分かったようで分からない、そんな読後感です。ただ、それをあえて狙っているというか、そもそもこの問題に明確な答えなどなく、曖昧な状態こそが本当のところではないか、というメッセージなのだと受け取りました。
以下、内容のネタバレを含みます。
まず、他の作品でも感じたこととして、彩瀬まるさんの描く男性像には一定の偏見が含まれていて、少なくとも私はほとんど共感することのできない男性像です。
これが、とても好きな彩瀬まる作品の中で唯一引っかかっていた所でしたが、ネット記事のインタビューでこの辺りに触れられていて、そこから新たな学びを得ました。
偏見それ自体は批判されるべきものではないと思います。私も逆の立場として、自覚のあるなしにかかわらず女性に対する偏見を持っているからです。
このすれ違いを埋めていくには、やはり互いに伝える努力をしなくてはならない。
だから、「偏見かもしれないけれど、私からはこう見えている」と、彩瀬さんにとってほんとうのことを、勇気を持って伝えてくれているのです。そこから議論が始まり、少しでも良い方向に進んでいくことを祈られているのだと感じました。
作中でも、伝える努力をせずに離れてしまった人々と、勇気を出して伝えることで前に進もうとする人々が対比的に描かれているように感じました。
また、物語としては男女の話であるため、性差が議論のベースになっていますが、厳密には、価値観の違い(正しさへの信頼度の違い)ではないかと思いました。これは最近の私の読書実績に基づいて強引に解釈しているだけかもしれませんが。
何かを選択するときに、どこまで「正しさ」を根拠にできるか、逆に言えば、どこまでの「正しくなさ」を許容できるか。ここが大きく異なる他人とは、すれ違いが起こりやすいのではないでしょうか。
彩瀬さんは結論を高々とは掲げないタイプなので本当のところは分かりませんが、どちらかというと「正しさ」を重視する価値観ではないかと思います。metoo運動を経て、自身も加害者なのかもしれないと感じてしまう程度には。
そうだとすると、最近読み耽っている凪良ゆうさんは「正しくなさ」を推しているように感じるので、似た問題を扱いつつもベクトルが異なるイメージが出てきました。
彩瀬さんと凪良さん、どちらも大好きなので、今後も私の脳内議論を盛り上げてくれると思うと楽しみです。
まとめますと、抽象的な部分を落ち着いて読むためにどこかで再読したい作品でした。