ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

うーちゃんとかか

宇佐見りんさんの『かか』を読みました。

 

本屋大賞の時に読んだ、芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』で度肝を抜かれたので、同じく色々と賞を受賞されていて、かつデビュー作という本作を読みました。

 

本作もえげつない表現力が爆発していました。うーちゃんの感情がひしひしと伝わってきて、もう完全に抱えきれないレベルになっている状態が、読んでいる自分にも伝播してくるんですよね。自分をうーちゃんに投影するというよりは、うーちゃんが自分になっている感覚というか、うーちゃんとして本作の世界を過ごしている感覚というか…。

 

なので、正直に言えば結構疲労困憊な読後感でした。でも、それだけ本作には大きな力が宿っているということなのだと思います。

 

また、『推し、燃ゆ』と同様にSNSが出てきますが、相変わらずこのリアリティがすごい。SNSをなにか大事なキーワードにするためにSNSを出しているわけでは決してなくて、現代の心情描写はSNSなしではあり得ない、そんな雰囲気を感じていて、それが私が特に好きな理由です。

 

では、以下はネタバレありで書いていきます。

 

 

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感想というよりは、個人的にえげつないと思った表現ポイントを列挙していきます。

 

昼下がりの浴槽は、湯もはらないのにお日さんの光をふちギリチョンまで溜めています。

p5。この前段の金魚のくだりもヤバいけど、この表現、特にいいな〜と思いました。

 

うーちゃんはもうそんな昔っから、他人を他人のまま痛がることができないんでした。

p16。深いところではみんなうーちゃんと同じじゃないですか??わたしだけ??

 

はっきょうは「発狂」と書きますがあれは突然はじまるんではありません、壊れた…(中略)…そいつがはっきょうです。

p26。発狂へと至る道の連続性を非常にわかりやすく例えていますね。

 

今まで実体のなかった劇団俳優のアイコンや草花のアイコンがきゅうに生々しく思えてアプリを落としました。

p49。めちゃくちゃわかる〜〜SNSを利用している人間なら一度はあるのでは?そんな普遍的なものではないか??

 

話題に困ったらすぐそいなことを言って座を持たそうとするんが不快だと思いました。

p52。めちゃくちゃわかる〜〜(2回目)。このタイプの人間が、私一番苦手なんです。本当に、お互いのために、なるべく関わりたくない。

 

人間の肉体は圧倒的な祈りの攻撃には耐えきれんのよ。

p75。めちゃくちゃわかる〜〜(3回目)。でも、こんなに的確に表現できるの天才すぎる…。祈りの対象が人間であるということは、『推し、燃ゆ』のテーマというか状況と似た部分がありますね。

 

それに気いついたとき、うーちゃんははじめてにんしんしたいと思ったんです。

p89。ここで話が繋がってくるのがえぐい。言語的説明は一切できないんだけど、ここまで読んでくると、うーちゃんの言いたいことが感覚的にはわかってくるのがすごいところです。

 

ばちあたりな行動はかみさまを信じたうえでちらちらと顔色をうかがうあかぼうの行為なんでした。

p109。これは言い得て妙ですね。

 

うーちゃんたちを産んだ子宮は、もうどこにもない。

p115。とってもせつないラスト…。ただ、これは考え方だと思うんですよね。無くなったからといって、「今まであったこと」は否定されないし、むしろ際立つと言ってもいい。かかの子宮はなくなっても、かかがうーちゃんたちを産んだことはかけがえのないものとして残って輝いているんだよ…。うーちゃんにとってはむしろその方が残酷なのかもしれないけれど…。

 

 

全体を通して、おばあちゃん→かかを中心に、家族における「言葉の呪い」がかかを、うーちゃんをはっきょうさせているのだろう、と感じました。