凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』を読みました。
凪良さんは、現在の私の"最推し"と言っても差し支えない存在で、本作は約2年ぶり?くらいの新作となります。
凪良さんはこれまで"生きづらさ"を抱えた特殊な人たちを多く描いてきましたが、今回も大きなテーマはそのままに、題材を"男女の恋愛"とした作品です。
というわけで一応、恋愛小説ということにはなるのですが、それ以外も非常に多彩な要素が盛り込まれていました。それらがことごとく現在の私の状況とリンクする部分がありすぎて、『え?凪良さんもしかして私の現状をすべて把握して本作書いた??』と思ってしまうレベルでした。大切な一作になりました。
それでは、以下はネタバレありで書いていきます。
あ、ちなみに、リンクする部分が多い『くるまの娘』についてもネタバレを含みますのでご注意ください。
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今回は本作で取り上げられた?テーマごとに書いていこうかなと思います。
■ 家族について
本作のテーマとして、個人的には恋愛というよりも家族という方がしっくりきます。それくらい、本作で重要な部分を担っていました。
本作には、子を頼る親が何人か出てきます。親子逆転のような状況です。こうなってくると、比べざるを得ないのが直近に読んだ『くるまの娘』です。自分が経験したわけでもないのに、かんこの人生をもとに暁海や櫂の人生を覗いているような印象でした。
瞳子さんから、親から離れて自分のために生きることを勧められますが、主人公の一人である暁海は母親の傍にいることを決めます。
[ごめん、東京行けない]
[お母さんをひとりにできない]
ここで決定的なのは、暁海の能動的な選択に見えて、諦観であるということです。「東京行かない」ではなく、「行けない」ということです。
『くるまの娘』のかんこについては、親との関係に苦しみながらも、家族ごと救ってくれることを自ら願い、自分の意思で家族であり続けています。
この、能動的選択であるかどうか、というのは非常に重要で、同じ苦しみでも当人にとって意味が全く変わってくるものだと思います。だから、暁海はずっと耐えているような精神状態だったんだろうなと思います。
「家族とはいえ他人」というのも、「親子という関係の特殊性」というのも、どちらもわかるだけに、正解のない問いだと思います。だからこそ、正解か不正解かよりも、能動的選択であることが重要なのではないかなと本作と『くるまの娘』を比べて、強く思ったところです。
■ 櫂と暁海の恋愛
中盤のすれ違いにかけての流れはとても良く、王道な感じがしました。それだけに、正直に申し上げれば終盤にかけて再び暁海→櫂の想いが膨れ上がるのが分からなかったです。それだけ、恋愛がいかに魔性かを表している(愛という呪いにかけられている)ということでもあると思うし、単純に私が暁海のことを理解しきれていないのだと思います。暁海のような価値観を理解できれば、もう少し私の世界が広がりそうなので、非常にもどかしい…。
わたしにとって、愛は優しい形をしていない。どうか元気でいて、幸せでいて、わたし以外を愛さないで、わたしを忘れないで。愛と呪いと祈りは似ている。
これは非常にビビッときたフレーズです。愛と呪いと祈りが似ているのは全力で同意する。1~2文目をもっと解釈できるようになれば、暁海をもっと理解できるのだろうか…。またこの文にかけての流れを再読したいなと思いました。
一旦ここまでの流れは置いておいて、終盤合流してからの流れは完璧といっていいほどでした。
とはいえ、結局一番のがんばれる理由は『ここはわたしが選んだ場所』という単純な事実なのだと思う。
ここで恋愛のストーリーと家族のストーリーが非常にうまく収斂していき、能動的選択の重要さを実感する展開なのは非常にエモいです。
そして花火のシーン…ラストの切なさといったらない。
■ 色々な愛
恋愛以外にも、凪良さんお得意(こう書くのは失礼かもしれないが)の、生きづらさを抱えた人同士の愛が様々描かれていて、非常に満足でした。
櫂と尚人のコンビ愛、櫂と編集者コンビの愛、暁海と北原先生の愛、北原先生と教え子の愛…。形は違っても、確かにお互いを支える重要な柱です。
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どうか暁海が、櫂のもとに往くまでの間にも少しでも幸せを感じることのできる世の中でありますように。