ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

推し × 純文学

宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」を読みました。

 

芥川賞を受賞したこと、本屋大賞にノミネートされていること、それから題名のインパクトが強いことから、結構多くの方がご存知の作品だと思います。

 

私も芥川賞を受賞した時に知って、読みたいと思っていたら本屋大賞にノミネートされたので、本屋大賞ノミネート作品読破の第5作目として読みました。

 

まずは読む前の印象から。

 

題名もさることながら、『推しが、炎上した。』という印象的なフレーズで語られるあらすじからは、何も知らなければエンタメ小説の匂いがしますよね。「老後の資金がありません」のような、現代の実際的な悩みを扱った作品のような。

 

でも、芥川賞を受賞しているんです。ということは、純文学のはずなんだけど、推し × 純文学って成立するのか…??と思ってました。

 

読後の、作品様式に対する端的な印象としては、思いっきり純文学でした。芥川賞・純文学というジャンルには最近手を付けだしたニワカの私ですら、「めちゃくちゃ純文学だ…これが芥川賞だ…」と思わずにはいられないほどに。

 

これから読む方もいらっしゃると思いますが、エンタメ性は皆無で終始重い雰囲気が流れています。そこだけご注意くださいませ。

 

ネタバレなしで端的に感想を述べるなら、「これぞ"令和の純文学"…!」です。現代社会を真正面から生々しく描く一方で、非常に独特で美しい表現がちりばめられていて、非常に美しい芸術作品だと感じました。

 

話がそれます。多分に語弊があると思いますが、一応自分の頭の中での解釈を整理しておくと、エンタメ小説が、起承転結がはっきりしていてある程度のお約束がある一方で、純文学は、なんでもありの領域です。エンタメ小説はなるべく多くの読者体験をより良いものに、という想いが見られる場合が多いですが、純文学は分かる人が分かる側面だけ解釈してくれればそれでいい、というような芸術作品だと思っています。たとえるなら、エンタメ小説がマンガで、純文学が絵画。同じフィールドではありながら、ジャンルが余りに違う、そういうイメージです。だから、どっちがいいとかいう話ではなく、楽しみ方が違います、ということです。

 

以下、あんまりネタバレというほどの内容でない部分もありますが、テーマの核心的なところのお話になるので、ネタバレご注意です。

 

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改めての感想ですが、非常に美しいと感じました。推しを推すということ、SNS社会で生きるということ、多様性への無理解さ、これらを、非常に独特で美しい表現をちりばめながら、仄暗い部分も真正面から生々しく描ききっています。

 

明確な救いなんて当然なくて、物語としての輪郭はぼんやりとしています。でもこれによって、いろんなものが不確実なまま、不安なまま、でもなんとなく連続的に時は流れていくような、そんなまさしく今の時代の有様というリアリティが格段に高まっています。現代を限りなく適切に切り取っていると思いました。いい意味で創作性を感じないというか、嘘偽りがないというか、写実主義的というか。まさしく、”令和の純文学”って感じです。

 

これは、今この時代を、若者として過ごしていなければ、なかなか共感できない部分だと思います。たぶん私の世代くらいが、ギリギリなんだと思っています。学生時代をインターネット社会の進化とともに過ごしてきた世代でなければ。

 

田辺聖子さんの芥川賞受賞作「感傷旅行」では、党員という存在になじみがなく、ここに理解や共感性があればもっと楽しめたのかな、と思ったのですが、これがまさしく当時の時代性を切り取ったものだったのだろうと思います。なので今回は、この時代に生きて、こういった時代への共感性も高い状態でこの作品を読めて、本当によかったなと思いました。

 

さきほども書いたように、独特の表現が多かった印象なので、特に印象に残っている描写を振り返っていきます。

 

きついまぶしさで見えづらくなった画面に0815、推しの誕生日を入力し、何の気なしにひらいたSNSは人の呼気にまみれている。

冒頭p4。ここでの成美との会話表現ですでに純文学みを感じていて、「すげぇ…推しという概念と純文学が両立しとる…」と思いました。この文章も、状況はすごく現代的でエンタメ的なんだけど、「人の呼気にまみれている」って。すごいです。

 

垢や日焼け止めなどではなく、もっと抽象的な、肉、のようなものが水に溶け出している。

p7以降のプールの描写。この感覚めちゃくちゃわかる~~~~。こんな表現はもちろんできないけど。

 

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。

p9。この表現ほんとすごいなぁ。あかりの言うところとは違うかもだけど、私も容易に意思と肉体が途切れます。

 

保健室で病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。

p9。診断名が明かされることはないけれど、終盤まで影響を与えている要素です。あかりにとって、努力だけではどうしようもできないことがあるということ。重要な要素であるのに説明が淡々としていて内容も薄く、解像度が低いのが、非常に現代っぽさを出していると感じました。あと、診断名が一度楽にしてくれる感覚、わかる。

 

あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。

p18。細かいことは最後の内省にて。推しの炎上や引退が、あかりのこのスタンスを崩してしまったのですよね。

 

あたしがここでは落ち着いたしっかり者というイメージで通っているように、もしかするとみんな実態は少しずつ違っているのかもしれない。それでも半分フィクションの自分でかかわる世界は優しかった。

p35。本当にこれ。私もこの自覚あるけれど、今はもう、どっちの自分も自分だと思っているので、大丈夫です。

 

だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

p37。あかりを言い表した部分。

 

わけがわからなかった。庇う基準も、苛立つ基準もわからない。姉は理屈でなく、ほとんど肉体でしゃべり、泣き、怒った。

p57・58。ほとんど肉体でしゃべるというのが言い得て妙でした。

 

常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。(中略)相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

p61・62。ここが本作の一番だと個人的には思いました。推しを推すということを人間関係という視点で見たことがなかったので新鮮でしたが、まさしくこの表現がしっくりきますね。そのへだたりぶんの優しさ、私もそこにすがっている感がある。

 

『つらいと思うけど、しばらく休みな』

p77。私の解釈した姉がめちゃくちゃ言いそうな台詞だったので笑っちゃいました。逆にいえば、姉に悪気なんてなんにもないことが分かるので、かえってすっきりかな。

 

『働かない人は生きていけないんだよ。野生動物と同じで、餌をとらなきゃ死ぬんだから』

p91。うわぁ、父親も無理解がひどいなぁ、と思っちゃいました。あかりとの相性はめちゃくちゃ悪い。

 

推しのいない人生は余生だった。

p112。冒頭からそうだけど、あかりの諦観がすごすぎて…。作品全体が重いのはこのあたりですよね。

 

中心ではなく全体が、あたしの生きてきた結果だと思った。(中略)二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。

p125。明るめに捉えるならば、推しと自分を重ねていたことから、今後は自分を解釈し続けることに可能性を見出したのではないか、という終わり方。

暗めに捉えるならば、推しのいない人生には意味がないと断ずる一方で、後片付けが楽な綿棒を使うなど、「このあと」のことを考えてしまっていることに気づく。つまり本当の意味で自暴自棄になることのできない自分を自虐的に認識し、余生を死んだように生きるしかないと思っている、という終わり方。

正解はないと思います。

 

最期に、私の内省です。

私自身に対する気づきとして、「解釈する」ということに一般的な人間よりも少し執着が強いのだと気づきました。作品の中で出てきますが、いわゆるファンといっても、推しとのかかわり方は十人十色です。

推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人…(略)

 そのなかで、主人公あかりのスタンスは、「作品も人もまるごと解釈し続けること」です。推しの言動・行動すべてを記録し、解釈していくことで、推しの見る世界を見たい、ということです。推しと自分を重ねている(推しに対しての共感性を高くあろうとしている)ような描写も多かったですね。

私は、あかりのような確固たるレベルの推しはいませんが、彼女と同じように、好きなものを中心にあらゆるものを「まるごと解釈し続けること」というスタンスを取っていることに気づきました。私は小説を中心とする物語が好きですが、登場人物がこの場面でこの行動を取った理由を解釈することで楽しむというスタンスを取ることが多いですし、作者が物語を創造するうえで、この場面をここに入れた理由を解釈することで楽しむというスタンスを取ることも同時にやったりします。

これは、好きな作品にはもちろんですが、私にとってイマイチな作品に対して意識的にやっているように思います。私にとってイマイチというのは、上記の理由が解釈できないことに起因することが多いのですが、みる側面を変えることで解釈できないか、と考えることが楽しいし、なによりそうやって解釈できた時には、新たな価値観・新たな楽しさを自分の中に得ることができたということなので、非常にうれしいのです。

 

以上、非常に貴重な読書体験でした。今度、「かか」も読ませて頂きます。

『え、でも、ソーダ味好きだから…』

竹宮ゆゆこさんの「あしたはひとりにしてくれ」を読みました。

 

古本を買ったのですが、表紙をめくるとまさかのサインがあってビビりました…。真偽は分かりませんが、調べてみた感じ、本物っぽいです。たなぼたでした。

 

今回はまた、すごい方向にぶっ飛んだ作品だったなぁと思います(笑)。シリアスとコメディが入れ替わり立ち替わりの怒涛の展開です。

 

竹宮ゆゆこ作品について、よくジェットコースター展開と表現しますが、本作については全力で回しているティーカップ展開というのがしっくりきます。難解な比喩が多くて高速展開していくというよりは、比喩は限定的だけど要素が複雑に絡み合っていき、目が回りかねない展開。

 

また、キャラクター小説感も強く、ラノベさながらの濃いキャラクターが多かったです。

 

私にとっては、満足なブレンドでした。ただ、ラノベ的要素が強いのがダメな人、シリアスの中にコメディぶち込まれるのがイヤな人、はちょっとしんどい作品なんだろうな、とは思いました。

 

テーマは、誰しも共感できる内容だと思います。大きな括りの愛、特に家族愛についてのお話でした。

血の繋がりとか、これまでの人生とか、そんなの関係ない。家族って、もっと自由でいいじゃないか。愛って、もっとシンプルに考えていいものなんだ、というメッセージを感じました。

 

以下、ネタバレありの感想です。

 

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今回もキャラごとにみていきます。

 

【瑛人】

くまさんのくだりは、最終的にはくまさんは弱い自分の比喩ってことでいいんだとすると、割と解釈通りで良かったです。

瑛人のようにまではなってないですが、瑛人の根本欲求(懸念)は私に通ずるところがあって、刺さりました。

アイスに心を持ってかれた理由が結局わからなかったけど、理由よりも気持ち自体を優先していこうよ、というメッセージでなるほどな、と思いました。

 

それにしても、アイスの夫とのケンカは、完全に瑛人たちが悪いと思うのですが、いかがでしょうか(笑)。

 

【アイス】

アイスを埋めた奴がなぜアイスを埋めたのかが謎すぎた(適当に放れば良かっただけじゃないか)とは思いますが、埋められた後の行動には息遣いが感じられて、良かったです。

 

『私を、愛してよ!」という悲痛な叫びに、なかなか心を動かされました。

 

最期の『いってらっしゃい!』『いってきます』はよくある展開だけど、それでもジーンときました。

 

【歓路】

脳筋の妹。状況に応じてボケとツッコミを担えるので脳筋キャラって便利ですね(違う)。かわいかったです。この子が妹で本当に良かったな。

 

【高野橋さん】

瑛人のお父さんなんじゃないかと思ってたけど、年齢差的にありえなかったですね。高野橋って、苗字なんですか?

歓路と一緒に、どっちかというとギャグ担当。

 

【最後に】

色々な要素を複雑に絡ませながらも、最終的にはシンプルにまとめ上げていることから、家族ってもっと自由でいいし、愛はもっとシンプルで良いな、と思いました。

スカイツリーからの夜景のくだりもそれをよく表しています。夜景の一つ一つでは確かに色々な人間ドラマが繰り広げられていて、愉快でないものも当然あるだろうけれど、だからといって夜景が綺麗でないことにはならない。

見たこと、感じたことは、もっとシンプルに受け取って生きてみてもいいんじゃない?と解釈しました。

『そうですよね。新見先輩って冒険しない人ですもんね』

加藤シゲアキさんの「オルタネート」を読みました。本屋大賞候補4冊目です。なんだんかんだ順調だ…。残り6冊も買うだけ買いました。

 

めちゃくちゃ爽やかな青春小説でした。

中盤にかけての積み上げ方もすてきだし、終盤も加速して一気に盛り上がる感じがあって、一気に読んでしまいました。

登場人物たちをつなぐ少し特殊な設定はあるけれど、その中でも変わらない普遍的な青春の根幹を堪能できたかな、と思います。

 

ネタバレありで細かい感想を。

 

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主人公格の3人に分けて書いていきます。

 

【新見蓉】

本作の一番の軸になっている子ですね。「ワンポーション」の青春感、ヒリヒリ感が良かったです。オルタネートに対する嫌悪感、もしくはワンポーションでの恋愛いじりでもう少し劇的な展開を期待したのは最近過激なものを読みすぎなせいですね(笑)。

 

【伴凪津】

蓉とは正反対に、オルタネート信奉者。ジーンマッチは気になるので、ぜひ実装して下さい。そこに落ち着いたか~って感じだったけど、オルタネートとうまく折り合いがついたのなら良かったかな。ここでも、オルタネートにもっと振り回される展開を期待してしまった自分がいます(笑)。

 

【楤丘尚志】

強い子。いちばんすきかも。自分に嘘なく生きようとしている感じ。

最期の文化祭のシーンは良かったなぁ。

トキさんは正直印象が薄くて驚きは弱かった…。

 

【まとめ】

文化祭あたりで3人のお話がかわるがわる進んでいって、ワンポーションの盛り上がりと同時に話が盛り上がっていく感じ、最高でした。

各登場人物の心情が見えにくい所はあったけれど、とっても爽やかな青春小説でした。私の高校時代は、ようやくスマホが台頭しだしてきたころで、SNSは全盛期まではいってなかったので、今の高校生の生態を垣間見た気がします。まぁこれもフィクションなんですが。

『僕は、そうは、思いません』

伊坂幸太郎さんの「逆ソクラテス」を読みました。本屋大賞候補3冊目です。

 

伊坂さんは、ずいぶん昔に「アヒルと鴨の~」と「死神の精度」を読んだっきりでした。

 

本作は、基本は小学生が主人公となる短編集で、日常の学校生活でのお話です。

基本面白く読めましたが、非日常感が強い印象でした。

特に、私が小学生という存在と断絶されて久しいのもあって、小学生の小学生らしからぬさが気になってしまいました。でもこれは自分が小学生だった時代の記憶に基づく偏見なので、私に問題がありますね。

 

 所々に刺さるフレーズがあって、それも良かったです。

 

軽くネタバレありの感想を。

 

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【逆ソクラテス

安斎くんが達観しすぎというか、小学生らしからぬ語彙力ですごかったです。『僕は、そうは、思いません』のフレーズは好き。

 

【スロウではない】

これも語彙力の高さが気になっちゃいました。ラストの切なさよ。

 

【非オプティマス】

久保先生目線で体験しなおしたい話。ラストのオチはそれでいいのか…?まぁ、そういうこともあるよね。

 

【アンスポーツマンライク】

歩の感情をもっと見たかったけど、展開的には楽しかったです。最期のアンスポーツマンライクのくだりはおしゃれ。

 

【逆ワシントン】

小型のドローンが出てきたときは笑っちゃいました。

最期の緩いつながりは良かったです。

『失礼。いま何時でしょう』

田辺聖子さんの「感傷旅行」を読みました。

 

この前「ジョゼと虎と魚たち」を読んで度肝を抜かれた方の、芥川賞受賞作と聞いて、すぐに購入しました。

 

これも短編集でした。うまく表現できませんが、タイトル通りどれも感傷的な作品で、理屈よりも感情が勝るシーンが印象的に描かれていたように思いました。

 

お気に入りは難しいけど「田舎の薔薇」かな。

以下、簡単にネタバレありの感想です。

 

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【恋の棺】

これすき。ジョゼにも入ってたので割愛します。

 

【いま何時?】

前半は結構刺さりました。自分の決めたことを形式上だけでも継続することで、意識をごまかす、そしてよく妄想をする…。

後半は、私は本物のヘタレなので、いざとなると断っちゃうと思います。前半の行動によって理想がどんどんどんどん上がっていって、しまいにチャンスをチャンスと思えなくなる。あれ、救いようがないな…。

とはいえ、主人公のように衝動的?に行動するような側面もあるので、自分が旅してるような気持ちになりました。

 

【田舎の薔薇】

主人公は、はじめ志した想いも嘘じゃないけど、大人になるにつれ背負ってきたものにも自覚的で、負担を感じつつも後悔をしているわけではない。あぁ、これこそ人生ではなかろうか、と思った次第です。

七七の句シリーズも好きです。特に「食わせてやって顔色をみる」。これは痛烈。

でも最後は、自らの意思で背負いなおす。こういうの、いいな。

 

【感傷旅行】

何がと言われるとうまく言えないんですが、なんだか特殊な短編でした。いわゆる「党員」というものになじみがないのですが、端々から感じる生々しさというか、なんというか…。

どの時代に書かれたか分かりませんが、当時にっておそらく前衛的な作品だったのだろうと推測されます。

あまり主人公の心のうちは見えてきませんが、だからこそ感情ではなく感傷で旅行をしているのだな、と思いました。

ニルヤの島

柴田勝家さんの「ニルヤの島」を読みました。

 

私の適当な提案に乗ってくださった友人から交換本として頂いたものです。

 

本格的なSFでした。SFは普段ほとんど読まないんですが、私の読書のルーツは星新一なので、勝手に親和性は感じてます。

 

本作は構成がだいぶ難解で、複雑な人間関係性と時系列がごっちゃという感じですが、ここ数年で時系列ミスリードものに慣れすぎたお陰で、だいぶすんなり理解が及びました。

 

人間関係性も、中盤で少しずつ繋がり始めてから一気に視界が開けて面白くなっていく感じ、とてもよかったです。

 

あと特徴的なのは、文化的側面の描写が丁寧なことでしょうか。技術の変化を受けての宗教観の変化とか、興味深かったです。

 

以下、ネタバレありの感想です。

 

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今回、話が繋がりそうになった段階で、人物関係図を作成し、そこにメモりながら読んでいきました。これが多分功を奏して、だいぶ順調に理解していけました。

 

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字が汚いです

 

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伝統厨

 

大きな転換点は≪Accumulation3≫の母の語りですかね。ここで結構いろんなことが繋がった感があります。

 

印象的な要素を挙げていきます。

 

【ケンジ・オバック】

この人のことを理解していくというのが本作の大きな流れだったように思います。

 

序盤は頭いってて意味のないことを繰り返してる人だったのが、アパタンの悲劇を知ってから振り返ると、アパタンのミームを受け継いで、救えなかった過去を塗り替えようと積荷信仰を続ける悲しい人でした。

 

誰よりも死後の世界を信じていたというか、信じざるを得ない状況でした。アパタンの所に娘を送り届けなくてはという想いが強すぎて…。

 

でも赤茶色の髪の娘は、白い髪のニイル化してしまっていて、無事にアパタンの所に行けたのだろうか…。そもそも、赤茶色の髪の娘はアパタンの元に行きたかったのだろうか…。ここは考え方次第かな。

 

【ヨハンナ・マルムクヴィスト】

この人が、死後世界の存在(ニルヤの島)というミームを伝搬させた中心人物ってことでいいのかな?

自分の娘を重ねて黒い髪のニイルの葬儀に参加して、赤茶色の髪の娘を助ける。母がヒロヤを産んで死んでいくのに立ち会っていく過程で母のミームを受け継ぎながら、モデカイトを導いていく。

この流れの中って、まだニイルによるミモタイプドグマは始まってないって認識で良いんですよね?

つまり、死後世界の存在というミームは自然発生的に再生してきたものであるという理解でいいのかな。いや、ミームコンピュータの出力端末がまだないというだけで、ミームの植え付けには既に成功してるということなのかな。

なんにせよ、ケンジと同じく死後世界を信じるというか願っていた一人でした。

 

【赤茶色の髪の娘】

この子が語り手であった部分から推察するに、マルムクヴィストは好きだけど実の両親をどこまで特別に思っていたかは謎ですね。

ワイスマンの思惑とマルムクヴィストの決断によってニイル化してしまうわけですが、黒い髪のニイルをオリジナルとして発現したという理解でいいのでしょうか。

黒い髪のニイルをオリジナルとしているからタヤに付き添うのか、そもそもタヤがミーム伝搬のための重要人物だから付き添うのか…。

次の代以降のニイルは、突如生まれるというよりも、もともといた人がニイル化する理解でいいんですよね。ニイルというミームの仕組み?が、DNAを乗り物として人間を渡り歩いていくような、そんな理解です。

 

【ニルヤの島】

類似した信仰が現実にもあるということなんですよね、きっと。死生観というのは人間にとって一番といっていいくらい大切な価値観で、だから宗教では死生観が語られるのだと思っています。

故人の存在を証明し、また死んだ後に祖先と統合されることで個人の物語性を担保する、そのための死後の世界というのは、なるほどと思いました。

ミームによって死後世界の概念が復活していくところを見ると、作中ではあまり明示的に語られないものの、何かしら別の意味があるのでしょう。

ここから先は想像です。

生体受像技術があったとしても、精神の老衰は避けられないように思います。肉体的な死が訪れているのであれば、個人の物語性は完結しており、永遠に同じ時を彷徨うことになります。

新しい刺激が何もなく繰り返していては、いずれ精神的な死も遅からずやってくるのでは、と思います。

この、精神的な死への焦燥感(記憶の断片化)こそが、ニルヤの島への信仰を促しているのではないかな、と思いました。

 

精神的な死をも乗り越えることが可能な、例えば、現象を記憶し、全く同じように再現するだけではなくて、無から新しい体験を生み出すことができるようになればあるいは、完全に死後世界の概念は失われるかもしれませんね。

 

精神的な死という観点で、私が最近読んだ数少ないSF「人ノ町」と類似性があり、少し理解が進んだところです。

 

【生体受像とミームコンピュータ】

DNAコンピュータ、ミームコンピュータというのは、初めて出会う概念で、結構よくある考え方なのかもですが、私としては非常に斬新な印象を受けて興味深かったです。

確かに、人間の処理能力ってコンピュータなんかよりよっぽど優秀な場面ってありますもんね。コンピュータで人間を再現しよう、じゃなくて、人間の仕組みそのものを利用しようという、発想の転換ですね。

作中のノヴァクの時代には、ECMの人間全体が演算装置として利用されているってことですよね…。だいぶ恐ろしいことになってきました。

 

【読み取れなかった部分】

単純な人間関係図ですが、結局クルトウルは登場人物の誰かなのか?というのと、ヒロヤの父は出てこなかった?ここだけ抜けているのが不自然な気もするが…というのが抜けた部分です。

 

【最後に】

ミームが意思を持つとするならば、ミームと人間の関係性は変化していきそう。仮に、ミームが人類自身を進化させるためのものであり続けたとしても、ミームが思う進化を人間が望むとは限らない。

最期のTAGは、ミーム目線のように思う。ミームは今のところ人間よりも一つ上の概念にあって、我々がゲームを遊ぶような構造で、我々の認識の外で活動しているような。

 

果たしてこれはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。私にはわからないけど、面白かったのは確かです。凪良さんの「滅びの前のシャングリラ」に通ずる所もちょっとあり、破滅へと向かっていくエンドなのに不思議と爽やかで、幸福感すら漂ってくるような、そんな綺麗なまとめ上げ。

『そうか、自転しながら公転してるんだな』

山本文緒さんの『自転しながら公転する』を読みました。

 

山本文緒さんは、アカペラに続いて2作目です。こちらは最新作で、彩瀬さんと凪良さんがどちらもオススメしていたので手に取りました。

 

登場人物への全面的な共感はできないんですけど、生活していく上での葛藤だったりとか、終盤のおみやの口上だったりとか、本来言語化できない部分を見事に表現していてすごいなぁと思いました。

 

以下はネタバレありです。

 

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冒頭の都の寿司屋への当たりはちょっと置いてかれたけど、よく考えたらまぁ分からんでもないというか、私が妬んでるんだなということに気付きました。

 

こう書くと私が普段、色々我慢をしてるみたいな印象になってしまうな…そうではないのです。

 

取り返しのつかないというか、状況を一変させるような台詞を吐いたり行動をしてみたら、どういう未来になるのかな、と想像してみることがありますね。私はあくまで想像に留まりますが、都は迷いながらも、最終的には自分の伝えたいことをきちんと伝える。

 

出していく弊害は勿論ありますが、出していかないと変わらないものが多すぎる。私は都を妬ましいレベルで羨ましく感じているんだと思います。都の人生はこの行動力(?)のお蔭で、最後まで変化に富んだ物だったように感じました。

 

特に終盤の旅行での貫一とのやり取りのところ。ここに本作の魅力が一番詰まってると思う。

 

p368

『その可能性を自分からゼロにしようとは思ってないよ』

 

p371

『私は、一緒に暮らしたいって言ったの。このままじゃなんの変化もないし、それじゃ悩みの内容だって変わらない。結果がどうあれ前へ進みたくて提案してるんじゃん。不安や悩みを失くしたいんじゃなくて、種類を変えたくて言ってるんだよ!』

 

プロローグとエピローグのトリックは、正直に言ってしまえば余りにも既視感がありすぎて、プロローグで人名がほぼ出てこない時点で大体わかってしまいました…。慣れって恐ろしいね。その分、純粋に都のお話に専念できた感があって良かったです。

 

エピローグの都の台詞もお気に入り。本編から時がだいぶ経ってるからこそ出てくる台詞なのだろうという点で、やっぱり必要なエピローグだったかな。

 

『別にそんなに幸せになろうとしなくてもいいのよ。幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ』

 

私の解釈する「幸せ」とは意味合いが違うように捉えていますが、主張していることは本当にその通り。

 

私の言葉で言えば、自分の描いた「理想」を100%、少しの遊びも許さない形で実現するのが「幸せ」だと考えると生きづらくなる。思い通りにならないことをうまく取り込んだ「幸せ」の形を追い求めていく方が、少なくとも自分には合ってる。つまり、「幸せ」を固定化するな、ということと捉えました。