ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

期間限定小市民のおわり

米澤穂信さんの『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読みました。

 

 そういう人が多いと思いますが、私が小市民シリーズに初めて出会ったのは、少なくとも10年以上前のことです。高校生時代に友人に勧められて読んだのですが、あまりの面白さと衝撃に夏~秋の下巻までの3冊を1日で読んでしまったということを今でも覚えています。

 

 そんな小市民シリーズの四部作掉尾を飾る冬期限定がついに刊行されました。これは万全を期す必要があると私は考え、4月に入ってから春期限定から再読を始め、ちょうどよく秋期まで辿り着いたうえで満を持して冬期を迎えることができました。

 

 端的に言って最高でした。読後はあらゆる感情がいっぱいいっぱいになってしまい、わけのよくわからない涙を静かに流し続けていました。お前は何様だ感想になりますが、米澤先生のよいところが全部出てる物語になっている、と感じました。

 

 描写がとにかく丁寧・公平でいてあからさまではなく、ミステリとしても人物小説としても非常に読みやすいです。その一方で、余地を持たせている所が絶妙すぎて読後も無限に二人のことを考えてしまうくらいに印象の強い仕上がりになっています。

 

■ 未読の皆様へ

 一刻も早く全人類が小市民シリーズを読了した世界になることを望んでいるので、どうか読んでください。まずは春期限定から。

 

■ 既読の皆様へ

 以下、ネタバレありで書いていきます。春~秋のネタバレも含みます。たぶん結構長くなります。

 

 

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1.春~秋の再読での気付き

 個人的には再読して本当に良かったと思いました。読んだのが本当に約10年前のことになるので、当時は気づかなかった、または忘れてしまっていたことが多く、発見が多くありました。なかでも印象的だったのは以下の二点です。

 

1-1.小市民シリーズのターニングポイント

 まずは、いきなりちょっとメタい話になりますが、物語全体として夏が大きなターニングポイントだったんだなぁということ。春は私が記憶していた春よりも軽やかであと腐れがなく、いろいろ片鱗はあったもののあくまで『日常の謎』の枠組みに収まっていて、この雰囲気のままシリーズを続けることもできたんだろうなぁと思いました。

 ところがどっこい、夏では大きく舵を切って『日常の謎』というジャンルではない新たな枠組みに歩みを進めていると感じました。『日常の謎』と主張できるポイントは「人が死んでいない」ことだけみたいなレベルで。それこそ『小市民シリーズ』という唯一無二のジャンルを確立しているのではないかなと思います(たぶん私の知識不足が大いにあるなかで勝手に思っているだけなのでご容赦ください)。

 夏~秋にかけての二人(特に小佐内さん)は、もはや信頼できない人として信頼できる、というレベルにまで吹っ切れてます。すべてが小佐内さんの掌のうえであることに関して信頼できるレベル、という感じです。夏~秋で更にエスカレートしていて、そこが小市民シリーズ長編の魅力だと思っていたので、これ以上のものを求められる冬やその先は描くのが大変だろうなという余計な心配をしていたほどです。

 ここで重要なのは、これだけ人間性が欠如したキャラクター造形であるにも関わらず、むしろそれによってこそ人間性を獲得しているという描き方が鮮やかだなということです。この二人は決して機械的に動かされているわけではなく、ちゃんと彼らなりの"理由"や"信念"があって行動しているということです。それがちゃんとオチにも繋がってくるのが本当に秀逸です。さらに秋の終盤から冬にもそれが繋がってきます。

 

1-2.秋のラストの描写

 これはたぶん高校生の時には気付けていなかったことなのですが、春~夏に二人が結んでいた互恵関係と、秋の終盤で結びなおした関係は、全く別物だということです。いや、分かってはいたのですが、小鳩君の思考回路を追いきれていませんでした。

 

『仲丸さんとのデートは楽しかったよ。(中略)でもぼくのほんとの趣味はこっちなんだ。(中略)やっぱりこっちの方が』

言葉を選ぶ。

『体温が上がるよ』

月がまぶしい。

(秋期限定・下巻 p211~212)

 ここです、ここ。ここの意味するところを今回の再読でようやく気付くことができました。「言葉を選ぶ」という表現が差し込まれたうえでこの台詞が選ばれている意味を。これは仲丸さんに振られたときの仲丸さんの台詞に対応しています。

 

『ねえ、小鳩ちゃん。冗談で始まっても罰ゲームで始まっても、形だけしかないとしても、恋は恋だよ。体温が上がるもん。あたし、それが好き。でも小鳩ちゃんは違ったんだね』

(秋期限定・下巻 p122)

 ここで、小鳩君が小佐内さんに今まで以上の感情(いわゆる恋愛感情)を抱き始めたのかどうかは定かではありません。どちらかというと、これまで小佐内さんに抱いていた感情を、包括的には恋の一つなのだと仲丸さんに教えてもらい、そのことを自分の中で自覚し認めた、というのが正しいのかなと思っています。これは小佐内さんには全く通じない台詞チョイスであるというところがニクい所です。

 初読時には、この台詞の意味するところに気づいていなかったので、ここは想像の余地を持たせているのかなと思ってしまっていたところでした。

 

2.冬のミステリ構造

 ようやく冬の話に入ります。すみませんがミステリ知識はあまりないので適当言いますがご容赦ください。

 構造としてはいわゆる安楽椅子探偵ものに近く、小鳩君が自身の記憶と、病院で過ごすなかで得られる情報だけで推理を進めていきます。それに加えて、3年前の日坂くんの轢き逃げ事件と現在の小鳩君の轢き逃げ事件が絶妙に重なって展開されていくのが鮮やかでした。事件自体はそこまで複雑ではないんですが、2つの似た事件が組み合わさること、なかなか小佐内さんと出会えないことで不穏な感じを助長していて読む手が止まりませんでした。小佐内さんの企みによって出会えていないと思っていたのは内緒(小佐内さんに怒られる)。

 描写が非常に丁寧で、手掛かりや示唆がいい所で差し込まれるので、解決編で全てがハマっていく感じが非常に鮮やかでした。

 ロジックでというよりも対比や示唆が鮮やかであるという観点で、種明かしより早めに気づくことができた要素がそこそこありました。藤寺くんが小佐内さんを1年生に見間違えたうえ、日坂くんの隣を歩いていた人を妹だと思うと言い出した時点で、対比が綺麗すぎてこれは日坂くんの姉なのだろう…と類推し、高校生だということが発覚して勝手に確信しました。

 でも犯人はつかみきれなかったなぁ。防犯カメラに引っかかる"何か"は確かにあったんだけど、「パトカーや救急車が映っていない」というのを読んで「それだ!!!」とめちゃくちゃ納得してしまいました。3年前と現在で犯人も動機も違うのがミスリードの一つでしたね。

 

『誰にも狙われるおぼえがないなんて言わない。(中略)だけどあのとき、わたしがあの堤防道路に上っていったことは、わたしにだって予想できない偶然だった。その私を狙うことは、誰にもできない。(中略)』

(冬期限定 p263)

 この"偶然性"の対比も鮮やかじゃないですか?3年前の事件に対して小佐内さんがこのように反論していて、3年前に対しては確かにその通りだったんですが、今回の事件に対してはこれが実現されてしまったのですから。その日、二人が堤防道路を通ることも、そこに車を運転するお姉さんが通ることも、どちらも偶然によるものだった。でも、そのシチュエーションがひとたび発生してしまえば、お姉さんがそこに運命性を見出して事件を起こしてしまう、というのには非常に説得性があり、唸らされたポイントでした。

 

 あとお姉さん看護師説は一瞬可能性を検討はしたんだけどたどり着けはしなかったなぁ。商業高校であることに何か意味があると思っていたし、やたら出てくる看護師さんのベリーショート描写に何か引っかかっていたから、真剣に要素を結び付ければいけた気がするのがちょっと悔しいです。毎日看護師の仕事しているのにスキーに行く時間ないだろってことは気づけたが何に結びつくのか分からなかったし、名前が出ていないということに引っかかっていたんだということには種明かしで気付きました。

 

3.二人の活躍

3-1.小鳩君の成長

 小鳩君にとっては過去に向き合い清算する大きな成長の局面だったのだろう、と思います。自身が小市民を目指すようになったキッカケの事件に向き合うことで、ある意味小市民に対する未練のようなものと決別するということだったのかもしれません。

 3年前の小鳩君も決して過ちだけの人間では決してなかったけど、そこから成長して日坂くんと向き合い謝罪を口にするシーンはくるものがありました。

 

3-2.小佐内さんの狼

 小佐内さんのことは次でたくさん書きたいと思いますが、変わってないねと微笑ましくなったのは日坂くん登場シーンです。こういう演出できちゃう策士な面を少ないながらも見せてくれたことで、秋までの小佐内さんの血が流れていることを実感するね。

 

3-3.二人の馴れ初め

 3年前の事件に関する回想は、二人の馴れ初めの回想でもあるというこれまた絶妙な演出でお見事でした。二人が(特に小佐内さんが小鳩君に)惹かれ合う(ここでは恋愛的な意味ではなく)理由が散りばめられていてとてもよかった。そのうえで先程も書いたけど、小市民を目指していなかった頃の二人も、決してひどい人間なんかではなく、あくまで青春の痛みなんだということが改めて感じることができてよかったです。

 

『理由はある。わたしが小さいから』

何を言われたのかわからなかった。携帯を持つ手を替える。

「……それって、関係ある?」

小佐内さんの声は、笑っているようだった。

(冬期限定 p171)

こことても好きです。発された言葉の理由がかけらも配慮のためではないということこそが、一番嬉しいしそれによって救われることもあるんだという好例だと思います。うまく言語化できていないと思うけど。

 

4.二人の関係性と描写

 終盤の描写がどこもかしこも好きすぎるので考察を添えながら触れていきたいと思います。総じていえるのは、いうても二人とも高校生で、青春のなかを生きていたのだなぁと。

 

小佐内さんは小首を傾げ、無感動に返した。

『おわあ、こんぱんは』

(冬期限定 p350

こういう要素回収めっちゃすきです。

無感動に返せているのも、今日こそは起きていてくれるんじゃないかという期待の表れなのかもしれないね。

 

鯛焼き、食べていたよね。あれだって台無しにした。ごめんね、どこかぶつけなかった?』

(冬期限定 p353)

ここのくだりはちゃめちゃに好きなんだけど鯛焼き持ち出すのは小佐内さんに対するある意味での信頼(まず何よりも甘いもの)が厚くて笑っちゃった。

 

『知ってると思うけど、小鳩くんは五時間も目を覚まさなかった。(中略)指がゆるえて変な入力ばかりしてたって言ったら、小鳩くんは信じてくれる?』

(冬期限定 p354)

秋までの小佐内さんを信用する限りにおいて、まったく信じられないね笑。

 

『ちゃんと言うね。(中略)小鳩くんが生きていて、いまこうしてお話しできること、わたし本当に、本当に喜んでる。……助けてくれてありがとう』

(冬期限定 p354)

 ここで、秋までの小佐内さんとは決定的に何かが違ってきているんだろうということを感じました。『わたし本当に、本当に喜んでる。』この言い回しが非常に絶妙で、自分のことなのに客観的な表現なんですよね。『嬉しい』じゃなくて『喜んでる』なんですよ。つまり、今回の事件で、小佐内さん自身が、自分のなかにそういう感情が沸き上がっていることに気付いた、心のなかからそう思えていることを自覚した、そういうことを示唆しているんじゃないかなと思います。秋終盤に小鳩くんが気付いたようなこと、具体的にはお互いのかけがえのなさを、小佐内さんもこの事件を契機に気付いたんじゃないかなと思います。

 そのうえで、これ以上なくまっすぐ感謝を伝えてくれるのはとても誠実です。小鳩くんが唯一涙をみせるのがここなのも説得力が高いです。

 

―――ベッドの横に、人が立っていた。

(冬期限定 p366)

 ここめっちゃゾワッとしました。そのあとの異常なシチュエーションで繰り広げられる日常会話も。

 

ぼくの首に、ふわりと温かいものがふれた。小佐内さんのマフラーだ。薄い入院着一枚のぼくにマフラーを貸すと、小佐内さんはダウンコートのフードをかぶり、囁いた。

『時間を稼いで。お話をして』

(冬期限定 p384)

 一段落後にマフラーを返すシーンも含めてセットで好きです。防寒具以上の心強さを分けて貰っている印象。本作冒頭の鯛焼きのくだりや、この後のベッドの温もりとも少しかかっている気がする。

 加えて、小佐内さんの小鳩君に対する信頼の厚さよ。

 

『……治ったら行きたいところ、ある?』

(中略)

『<アリス>かな。いちごタルトを買いたいんだ』

(冬期限定 p412~413)

 この時点ですでに小鳩君は小佐内さんとの別れを覚悟していて、感傷に浸りながら思い出話をしている印象。春から秋までを追想するのとてもエモいです。そして小佐内さんにとってこれがどんなに嬉しかったことか分かりません。この会話がなければこの時点での京都のお誘いはなかったかもしれないと勝手に想像します。

 パフェのくだりも、秋のあとに小佐内さんが小鳩君のことに関心を持つようになった結果ということなのかなと思います。

 

『わたしはね、いまだと思う』

(冬期限定 p416)

 青春性をこれ以上ないほどに象徴した台詞。

 

『おいしいお店も探しておく。だからきって、わたしを捜してね。そうしたら……最後の一粒をあげるから』

(冬期限定 p417)

 京都へのお誘いと同じくらい、最後の一粒をあげるというのは、甘いものを愛する小佐内さんにとって今までではあり得ない台詞だと思う。それに、推理力という点において小鳩君が小佐内さんに劣るはずはないので、これはもう小鳩君の意思次第でしかない。小鳩君が別れを覚悟するなかで、小佐内さんは別の未来を夢見てくれてるよ。

 

『おやすみ小鳩くん。わたしの次善。(中略)』

(冬期限定 p417)

 最高に優しい台詞だと思う。

『(中略)この街にいる限り、船戸高校にいる限り。白馬の王子様がわたしの前に現れるまでは。……わたしにとってはあなたが、次善の選択肢だと思う。だから』

(秋期限定・下巻 p213)

 秋の終盤では、地元限りの、高校生限りの次善だった。でも今回、無条件でかけがえのない次善、にランクアップしたね。まだ人生が続いていくという段階において最善を諦めることはないのが最高に小佐内さんらしいと思うし、そういう意味で「次善」と言えるのは、もう至上のかけがえのなさなんじゃないかと思います。

 

ぼくの目は閉じていく。

(冬期限定 p418)

 これは順当に考えれば眠りについたということだと思うけど、それだとちょっと疑問な所はありますね。あれだけの出来事があって、急に抗えない睡魔に襲われるだろうか?薬の影響が残っている可能性もあるが『薬のせいではない、自然な睡魔に』とあるので違う気がする。

 ネットでいろんな方の感想をみていてハッとさせられた一説として、これは眠りについていない。二人で居て、このシチュエーションで目を閉じる必要性があるとすれば理由は一つ……という説は、まぁ妄想の一つとしてあってもいいのではないかと思います。こういう想像の余地を随所に絶妙なレベルで残してくれているので、二人に思いを馳せることが止まりません。

 

5.まとめ

 別々に感想を整理しましたが、ミステリと人物小説が絶妙にリンクしているのが米澤作品の大きな魅力です。ミステリのために人物が動かされるようなことはなく、常にホワイダニットを伴いそこに回答が用意されている。犯人にも犯人なりの、探偵にも探偵なりの"信念"がある、そういう描き方をしてくれます。

 

 

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 春から冬まで続いた、小市民を目指すための二人の"期間限定"の互恵関係は終わりを迎えました。でもそのなかで、互いの"かけがえのなさ"に気付き、また目指す所も小市民ではなくなった今、期間未定の新しい関係が始まるのではないでしょうか?

 

 そういう意味で、季節限定の"小市民シリーズ"は終わりましたが、"新しいシリーズ"として二人の今後が描かれる可能性も……あるのかもしれません。でもまぁ今は、十数年の年月を経て、二人の青春の軌跡を見届けることができたことに最大限の感謝を。