ずっとお城で暮らしてる

趣味にまつわる記録簿です。小説の感想がほとんどです。

「弱い羊のままのぼくで荒野を駆ける。」

凪良ゆう先生の「滅びの前のシャングリラ」発売に絡んで、オンライントークショーなるものがありましたので、参加しました。

 

本来なら多分東京の書店などで開催するようなものがオンラインでやって下さるとのことで、こういう点ではオンライン文化が浸透して良かったなと思うところです。

 

凪良先生は、トークショーは初めてとのことでしたが、出てくる話がどれも面白く、やっぱ小説家ってすごいなぁ、凪良先生の考え方やっぱり好きだなぁ、って思いました。

 

一緒に登壇された編集の方と書店員の方も、とっても凪良作品に対する愛が伝わってきて、どの話題にもすごく共感しながら聴くことができました。

 

備忘録として、特に印象的だった所をポイントでまとめておきたいと思います。

 

① 凪良先生って自分に正直な方

凪良作品から、自分の幸せについて少なくとも自分は肯定してあげよう、みたいなメッセージを受け取ることが多いですけれど、凪良先生からもその感じが非常に伝わってきました。

あくまで自分が書きたいことを書き、言いたいことを言う、ということが芯にある。とても力強い方だな、と感じました。

 

② 世界の終わりに、絶対読み終わらない小説を読むということ

これは結構ハッとさせられました。

「滅びの前のシャングリラ」を読む前は、最後の日まで普段通りでいたいな〜と考えていました。ただ読んだ後は、社会の脆さに気づいて、普段通りの難しさ・かけがえのなさに気づいたので、とにかく悔いなく生きたいな、とぼんやりと考えました。

そして今回。「絶対読み終わらない小説を読み始める。しおりを挟んで閉じておけば、また読める気がするから。」

物語は永遠です。でも、読み手にとっては読了が一つの終わりとなります。面白い本ほど、いつまでもその世界観に浸っていたくて、早く読み進めたい気持ちと読み終わりたくない気持ちが対立することがあります。その究極版だと思いました。読み終わらないまま世界が終わってしまえば、その人の中でも、その物語が永遠のものとなる。

トークショーでも言われてましたが、イスパハンの雪絵の考えと似ていますね。叶わないと分かっている、現実とは異なる世界線の存在を願うような考え。明日も普通にやってきて、小説の続きを読むことができる。明日やりたいことが明日できる未来。

こういう解釈のもと、「明日やりたいことを明日に残しておく」という人生最後の日というのも、良いものになりそうだ、と気づくことができました。

 

③ p94「弱い羊のままのぼくで荒野を駆ける。」

これです。「滅びの前のシャングリラ」で好きなシーンをみていくコーナーの時に、私がこのシーンというかセリフをチャットに投げたのですが、先生がご自身で気づいて下さって、これに言及して下さいました。

たぶん、それだけ先生の中でも思い入れの強い描写だったんだろうな、と思います。また、ここに込めた先生の想いというのが、まさしく私の解釈の通りでした。わざわざ見つけて言及して下さったこと、解釈の一致、この2つでめちゃくちゃ嬉しくて泣きました。

 

殺される際になって、完全に自己を確立する友樹。妄想の中に逃げることをやめ、今の自分のままを肯定して精一杯生きることを選択する友樹。上手い表現が見つからないですけど、友樹が完成した瞬間、って印象です。

 

以上です。トークショーで「推し」にまつわるお話がありましたが、今回で凪良先生が私にとっての「推し」の一つであることを改めて自覚することができました。

 

幸せな90分をありがとうございました。

今後もこういう機会があるといいな。