まず、これを原作とする映画がいまやってて、暇を持て余してたので観ました。そうして、どうやら原作は短編らしいと聞いて気になり、読んだ次第です。
いや、こんな沁みる短編集だとは思ってなかったです…。田辺聖子さんは天才なのでしょうか?昭和の頃にこんな小説を書くなんて…。
大人の女性を主人公とした、恋愛にまつわるお話です。なのに主人公に自分を見つけてしまうのですが、これはどう解釈すべきなのでしょうね…。特に「うすうす知ってた」が私にとっては化け物級でした。
とにかく田辺聖子さんをもっと摂取しようと思いました。
以下で、各短編に軽く触れておきます。
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【お茶が熱くてのめません】
田辺さんってすごい人だ、と感じました。話の展開は現実味がありつつ、内面描写はどこか概念的で、それでいて置いていかれることなく進んでいきます。
あぐりは、吉岡のことをなんとかしてやりたい(喉が乾いている)と思いつつ、吉岡の話に心底呆れている(お茶が熱くて飲めない)、ということかな?
【うすうす知ってた】
主人公の梢が、ほぼほぼ私です、はい。老ねたコドモという表現がよく似合います。
今は楽しく生きてるけど、やっぱり結婚したいという思いはあって、じゃあそのために何かしてるかというとそんな大したことはしておらず、でもやっぱり次の人生はすべて「結婚」から封切りになる、そんな感じで考えている。
真剣に考えこんでも、どこか紐のほどけたところがあるとみえ、ゴム風船を水に沈めようとするときみたいに、心はフワフワとまた、浮き上がってしまう。
この終わり方も救いがなくて、今の私には刺さります。結局運命を待ってるバカなんですよね〜〜頭では分かってるんだけどなぁ。
【恋の棺】
この二重人格も、私をみているようでした。客観視が比較的得意なせいもあって、主観的欲求と正反対の行動も、簡単に取れてしまうのですよ。いい面もありますけどね。
【それだけのこと】
これも面白かったです。チキという媒介を通じてのコミュニケーション、この楽しさ・可笑しさはこの距離感でないと生まれないような。関係性に名前をつけてしまうと、ただそれだけのことになってしまう、おおげさに言えば神秘性がなくなってしまう。この気持ち、わかります。
【荷造りはもうすませて】
これは完全に隣の芝生が青く見える現象だと思ってます。私もそうです。
【いけどられて】
昔ってこういうのよくあったんでしょうかね?小説だからなのか、時代の違いによるものなのか…。
とにかく稔が理解不能すぎた。「めし」は流石に時代関係なく頭がおかしいことがわかる。
映画と全然違った…。映画を先に見たからかもしれないけど、方向性が結構違う感じで、どっちがいいとかそういう話ではないとは感じました。
幸福を死と捉えるのはすごいけど、粋な発想ですね。完全無欠な幸福の継続は、つまり人生のゴールであり、変化を望まないことであり、つまり死、ということかなぁと解釈しました。
魚の例えのくだり、結構重要な気がするけど映画ではほぼ出てこんかったですね。
【男たちはマフィンが嫌い】
人様に迷惑かけてまでやることは絶対ないとは思うけど、連の考えが少し分かってしまう自分が嫌でした。
積読本があることに幸せを感じるというか、まだ見ぬ世界がそこにあることで満足してしまうというか、それがあるからこそ生きていられるというか、そんな感じです。
【雪の降るまで】
一番官能的なような気がしました。二人とも業が深そうな…。ザ・密会って感じ。